引用元:(http://kaga100.net/miscellaneous/archives/45)

難攻不落城と言われた小田原城。

そんな小田原城が1夜にして陥落する日が来ます。
今回は北条早雲の小田原城奪取に関する逸話についてご紹介していきます。

その裏には人間ドラマがあったようです。

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一介の素浪人であった北条早雲


引用元:(https://ja.wikipedia.org/wiki/北条早雲)

北条早雲は一介の素浪人でありながら戦国大名にのし上がった「下克上」の典型として伝えられています。

そんな早雲がなぜ戦国大名までのし上がることができたのでしょうか。

まずは仲良くなって相手の懐に入るという奇襲

当時伊豆を平定していた早雲は、これと同時に相模国の進出も図っていました。

当時の城主・大森藤頼に書状や贈り物を贈り少しずつ距離を縮めます。

今で言うもので釣る作戦ですね。

そうして大森藤頼と親交を深める早雲ですが、あるとき大森藤頼に「箱根で鹿狩りしてもいい?」と言い出します。

大森藤頼の領地の一部であった箱根山での鹿狩をしたいという早雲の申し出に、既に気を許している大森藤頼はあっさりと許しを出してしまいます。

早雲は鹿狩などする気は一切ありません。

早雲が狩りたいのは・・・大森藤頼の首でしかありませんでした。

時すでに遅し!難攻不落城は一夜にして崩れる

鹿狩りの格好に扮した早雲一行は一気に小田原城に攻め込みます。

大森藤頼が早雲の裏切りに気がついたときは時すでに遅し。

無防備であった小田原城はあっけなく陥落してしまいます。

裏切り、裏切られは戦国時代、下克上の基本なのでしょうか。

北条早雲の小田原城奪取の逸話は史実ではないというオチ

戦国時代の下克上の典型と言われるこの逸話ですが、実は史実ではないという調査結果が出てきています。

これまでは素浪人と言われていた北条早雲ですが、実は室町幕府の執政を務めていたエリートだということが判明しています。

実は成り上がりと言うよりは幕臣であった早雲が戦国大名となったという流れが主流になっているようです。

しかし戦に優れた才能を発揮したことや、多くの城を築城したということは史実であり、内政面でも幕臣時代に培われた手腕を発揮したことは間違いないようです。

 

史実と逸話に相違があるにせよ、この逸話にある戦国ロマンを味わうのもいいのではないでしょうか。