小田原城 難攻不落 理由
引用元:(http://riseandshine.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/03/16/pict0094.jpg)

今回は小田原城が難攻不落とされた理由についてまとめていきます。

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「難攻不落城」として有名な小田原城ですが、日本中に数多くある城の中でなぜ小田原城が難攻不落とされたのでしょうか。

最初の落城は裏切り

諸説ありますが、平安時代末期に相模国の豪族であった小早川遠平の居館であったことが始まりとされています。

その後1417年(応永24年)に、駿河国の大森頼春が奪い「小田原城」が築城されました。

築城後約50年大森氏による支配が続きましたが、1495年(明応4年)に北条早雲が当時の城主、大森藤頼と親交を深め近づいたあとに裏切るという何ともドラマチックな落城でした。

100年間君臨し続けることができた理由

小田原城 難攻不落 理由
引用元:(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/小田原城)

北条氏の小田原城支配は奪取後100年にわたり続きました。

群雄割拠の世であった時代、100年という長期にわたる同一勢力による支配はとても難しいことでした。

なぜそれが可能だったのでしょうか。

北条早雲はまず城の改修を進めるとともに、城下町もを含める大規模な城塞を作り上げたのです。

難攻不落の理由。それは当時としては類まれなる城のスケールの大きさでした。

この城塞というかたちをとったことで、上杉謙信や武田信玄からの攻め入れにも屈することがなかったと言われています。

秀吉の一夜城からの攻め入り

小田原城 難攻不落 理由
引用元:(http://blogs.yahoo.co.jp/mushipro75/63422188.html)

しかし名城小田原城は、小田原攻めに本気であった豊臣秀吉を前に耐えることはできませんでした。

秀吉は小田原城にほど近い山間にあえて木を伐採せずに石垣山城を築城しました。

また全国から名だたる武将を集め、隙間なく配置し周囲を包囲しました。

完全に孤立状態となった小田原城は次第に戦意を失い、最終的に豊臣家に白旗を挙げる結果となりました。

歴史の背景を知ると面白さが深まります

単なる旅先の史跡として訪れるだけではなく、その歴史背景を知ることでより楽しむことができると思います。

ぜひ小田原城にお越しの際には、ほんの少しお城の歴史について触れてみてください。